僕には何もないような何か

さっき読んだ2つの記事

 

エモい文章の作り方|嘉島唯 @yuuuuuiiiii #note

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「才能」の定義|えとみほ(江藤美帆) @etomiho #note

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私は単純なので、読んでて「うーん、確かに」と思う。

 

まず一つめ。エモい文章の作り方。

「エモいってなんだよ 最近の若者はエモいって言葉で全て片付けやがって。」みたいなのをなんか前Twitterで読んだ気がする。私の情報源は、Twitterなので。

でも「エモい」って言っちゃうよね。わかる。
私にとってのエモいって「胸にぎゅっときた」とか「悲しくもないのに涙が出そうになった」とか「夕焼けが目にしみた」とか、そんなニュアンスなんだけど多分これ人によって違う。人に解釈を持たせる言葉が「エモい」なのかも。

そんな中で見た「エモい文章は「固有名詞」×日常性で作れる」というのは、なるほど、それか、と納得もする。(あくまでこれは正解ではなく、人によって解釈が違くていい)
もしかしたら、今フォロワーや友人と共有している色々が、いつか私たちの「エモーショナル」をかきたたせる「固有名詞」になるかもって思ったら、まさにそれこそ「エモいじゃん」って思った。(まあ推しの場合懐かしいね、なんて言わせないで欲しいのですが)

あの曲、このライブハウスでやったよね とか あそこの飲み会であったこれ、楽しかったね、とか。

私は人間関係が下手くそで、場所が変わるたびに関わる人をごっそり変えてきたという薄情者で。
ただその中に、片手で数えられるほどに「長い付き合いの友人」がいて。
一人でも多くの「付き合いの長い友人」になれたらいいなあ なんて思っちゃった。

 

 

二つ目。「才能」の定義。
「その道のプロは、絶対にやらないミスをしないし、してても違和感として気づける」ということが書かれてるんだけど。
これは私にはマジで深く刺さった。「変だと思わないの?」とか「どうしてそんなぐちゃぐちゃなの?」とか「常識的に考えて」っていう言葉、呪いだった。わかってない=おまえに仕事はないって図式が怖くて。
いろんなところであると思う。「この酒の味の違いがわからないなんて」「この編集の雑さに気づかないなんて」「この広告のダメさに気づかないなんて」「この企画のヤバさに気づかないなんて」
ポジティブでもネガティブでも、この「気づかないなんておかしいんじゃないの?」というのが非常に多い。
この問題をは根深い上に一人一人考えることが違うので置いといて。

何が言いたいかっていうと、大事なのって「その違和感に気づける修行ってどうしてました?」と、「じゃあその違和感ってどうしたら解消できますかね?」ってことじゃないかな、ということ。
まあ何回やっても同じミスをする人って、本人が覚えてないってのもあるんだけど、ミスの内容しか覚えてないから対処のしようがないんだよな〜という、漠然とした思い出。


ちなみにこの記事は、「3年経たずとも向いてないと思ったらさっさとやめて次行け次」という締めくくりなわけだけど(要約だから元記事読んでネ)、私はどちらかというと「ボコボコにされてもやりたい仕事ならやっていいんじゃない?」派。
ボコボコって肉体的にじゃないよ。ブラック企業死すべしなので。
仕事として無理だな(生きていけないな)と思ったら、それこそ、趣味にするって手はあると思う。生きていくには、どうしてもお金と体力が必要なので。

 


私は『その仕事が面白いか』という目安で仕事をしている。
多分、好きでもないけどやれる仕事っていっぱいあると思う。「好きだからできる」なんてのは、個人的には言い訳でしかない。
ので、今の仕事で終わりが見えたら、きっとやめて別の仕事につくと思う。それまでに自分のできること増やしておかないとなあ。

 

何が言いたいかわからなくなってきた。まあこんなちゃらんぽらんでも生きていけるよ、人間、という話でした。
それはそれとして、資格とったりなんだりしようかね。